日本語ジャーナル
2月7日 『女の話し方をしてないわ!』
日本に行って一年たったときの話であるが、私の同僚であった二人の日本人が互いに私の日本語について話していた。というよりも私の話し方について私をからかっていたということであろう。特に私の日本語が『女らしい日本語』ということをからかっていたのだ。『いじめないで、もうやめてちょうだい!』と言い返したが、それに対し、『ほら、聞け、いったとおりだろう!』と一人は気のきいた言葉を飛ばした。日本に行く前にも、日本語には男性用語があれば女性用語もあるということが分かっていたが、その知識は終助詞に過ぎなかった。言葉や文法まで性別の区別があるとはぜんぜん思いもつかなかった。英語では好みの話題以外にその性別の区別がまったくないから、、
2月14日 『俺に向かって話せ!タック』
日本でよく経験したことであるが、日本に行ったのは自分の教会の宣教師として活躍するためであった。宣教師の活動がさまざまで奉仕や扶助活動などのことをしていた。が、もともと宣教師だからやっぱり布教活動もした。布教活動では時々戸別訪問した。最初の同僚は日本人であった。(この同僚の英語がぜんぜんだめで、私の日本語もだめだった。通じにくかったが、それは別の話だ。)戸別訪問して、家の人に話しかけても、人はよく日本人の同僚に向かって話した。その同僚が私の後ろに立っていてもそういう事が多かった。私は悩んだ。「何で俺に話さないの?俺に話すのが無意味というほどに俺の日本語が下手というのか?」自分の日本語のへたくそなせいで人々は私に直接話さなかったのだと思った。ずっとそういう風に思っていて、このような経験があるごとに、自分の日本語がだめだと考えると落ち込んでしまった。ある日、転勤で同僚が変わって、今度の同僚はアメリカ人になった。でも同僚が日本人ではなくてもこの同じ現象がよく繰り返された。ぜんぜんわからなくなってしまった。『なんだろう?十分に日本語で話せるし、同僚が日本人ではなくても、まだ人々は後ろの人に話すのだ。どうして?』それからよく注意し始めた。この経験は私の独特の経験ではなかった。アメリカ人でも、日本人でも、誰であってもの経験であった。ようやく気づいた。私の日本語が分からなかったというわけではなかった。私に日本人が分かっていなかったということであった。日本では直接に断るのが失礼に見なされるから、話しかけた人に直接に断らずに、後ろの人に話しかけて断るのだ。文化がわからずにこういう行為が失礼だと解釈したミスだった。俺の下手な日本語をからかっているのだと勘違いしてしまった。実はその逆に丁寧な習慣の表れであったのだ。こんな英語と日本語の会話のし方の違いに不意に襲われた体験だった。
2月21日『あれって何?!』
日本に行ってコミュニケーションする時、一つの難しいところは日本人の頻繁に使っていた間接用語である『あれ』ということであった。たとえば、質問の返事に『ちょっとあれなんだから。。。』と答える。『何や?あれは答えにならないよ』と思い、何か答えるのがいやだからだとは思ったが、何がいやかぜんぜん分からなかった。問題がわからないからこそ質問したのだが、『あれ』と答えられてしまうと何も役に立たず、まだ分からないであろう。アメリカ人は鈍いよ。ちゃんと説明しないと僕は分からないよ。直接、質問に答えてほしいのに、間接的に返事するから、挫折感を引き起こした。今振り返って考えるとアメリカ人らしく直接的に質問して直接に答えさせてしまって失礼な行為だったのかもしれない。こうした勘違いをして恥ずかしく思っているし、自分の意図が誤解される恐れがあり、自分の無知を悔いている。当時に、どうしようもなくその人が何を考えているのかを探ろうとしたが、何よりほしかったのが直接の答えであった。この違いはアメリカと日本の文化の違いを反映していると思う。アメリカの文化によると直接に答えないと失礼であるが、日本では逆に直接に答えることこそが失礼になることがあるのだ。
2月28日 『今、何と言った?!信じられない!』
今まで話してきたことは日本人の間接的なやり方に集中してきた。けれども、すべての規則に例外がある。今でもまだ分からない日本人のコミュニケーションの仕方の一つであるが、それは率直に人の恥ずかしいところを言ってしまうことである。あるアメリカ人の同僚は鼻が長かった。毎週少なくとも一度ぐらい『鼻が長いよね』とか言われていたのである。言われる毎に頭に来たが、教会の代表者として怒っちゃだめだからいつも微笑みのままで黙って我慢していた。でもどのように見ても日本人が悪気を持って言ったように見えなかった。もしアメリカ人がそう言うとそれは必ず侮辱していることに決まっている。もう一つの例を挙げよう。もう一人の同僚はアメリカで生まれた二世の日本人であった。日本に来てあだ名がつけられてしまった。「短足くん」であった。いつも『その呼び方をやめてくれ』といっても無駄であった。でも、この例はアメリカでもあるからいい例ではないかもしれない。でも次の例はまったくアメリカでは見られないが日本ではよくあることである。久しぶりに会わなかった人と会うとよく『太ったな』とか『痩せたな』とかいつも言われるのだ。アメリカ人が『太ったな』といわれると腹を立ってしまう。『何だ?そこまで言うな!』と思っていても耐え忍ぶしかなかった。アメリカでそういうのはとても失礼であるから。実は私が今もこういう習慣が分からない。どう見ても日本の間接的な文化と逆だと思うが。
続く
クンズ